駒崎 弘樹 公式ブログ 旧ブログ記事

「責任革命 あなたの仕事が世界を変える」ついに店頭に


本書にある解説をここに掲載します。お読み頂ければ、本書に何が書いてあるか、お分かり頂ける事でしょう。

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そして、お読み頂いた方が、本書そのものを堪能して下さることを、心より願っています。

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解説 「あなたが世界を救う方法」 
NPO法人フローレンス体表理事 駒崎弘樹
本書「責任革命 あなたの仕事が世界を変える」の解説の依頼を引き受けたのは、自分の胸の中に沈澱していた「淀み」に対して、答えを与えてくれたからだった。
私はNPO法人の代表として働いている。社員に給与を払い、自らもそれで食べている。事業は働く親御さんに対し、病児保育を提供すること。子どもが熱を出すと一般的な保育園では預かれない。しかし仕事は簡単には休めず、欠勤が続くと雇い止めや解雇という状況にもなる。そのためのセーフティーネットが病児保育だ。保育園に替わって医師との協力のもと、こどもの家で熱を出した子どもを預かる。東京23区を中心に展開していて、国の政策にも取り入れられた。
そんな社会事業に取り組む自分が、ある大学で講演を行った時のこと。学生は熱心に私の話を聞いてくれ、質問も活発にでた。私が帰ろうとした時に、歩きながら質問をしてくれた学生もいた。学生達の熱心さに、嬉しい気持ちになった。そして最後の学生が私に質問し終わり、こう言った。「ありがとうございました。今日は本当に勉強になりました。頑張って下さい!」
理由が何かは分からなかったが、鉛のような違和感が胸に残った。
その違和感が何なのか、がうっすら分かり始めたのが、それから半年後のことだ。私は日本を代表する新聞から取材を受けていた。当時私はNPOの事業をしながら、鳩山政権の官房副長官を中心としたチームに招かれ、日本の市民社会を活性化する政策の立案に民間の立場から携わっていた。私は政権中心にいる政治家達が、私達民間事業者と手を取り合い、市民が主役の社会を創ろうと本腰を入れて頑張っている様を語った。しかし記者さんは、申し訳なさそうにこう仰った。
「いや、今は各社で政権を叩く時期なんで、政権のポジティブな動きは載せづらいのです。」
あの時学生との会話で感じた違和感がフラッシュバックした。
そして自分が何に対して、違うと感じているのか、おぼろげながら分かってきた。
それは「『社会を変えてくれるような偉い人達は自分からは遠くにいて、自分達はその人達を応援したり批判したりする役割である』」というような意識の枠組み」に対して、では無かろうか、と。
例えて言うならば、サッカー(野球でも良い)の試合だ。自分達は観客席の中にいる。ポップコーンかビール(あるいはその両方)を飲み食いしながら、フィールドを見ている。フィールドでは選手達が汗だくになりながら、ボールをゴールにいれようと駆け回っている。あなたは選手が良いパスを受けシュートを放てば喝采し、それがゴールポストを大きく外れればブーイングする。ビールを飲みながら、早く選手を交代させろであるとか、フォーメーションがまずいのではないか、連れの友人達と呟きあう。そうした「観客」。これが私達と「社会」との関係においても、踏襲されてしまっている。
スポーツの楽しみ方としては正しい「観客」としての態度。しかし社会は例えるなら全ての人間がユニフォームを着て、ボールをパスし合わなくてはいけないサッカーのようなものだ。「遠くの偉い人」の悪口を言っているだけでは良くはならないし、「頑張って下さい」と応援するだけではなく、自らも頑張ってボールを追わなくてはならない。
しかしこうした観客的態度は、我々の生活の端々に、意識の隅々にまでベッタリと染みついてしまっていて、容易にぬぐいされるようなものではない。
ゆえに、この「責任革命」が私に光彩を放ったのだった。その理由を語る前に、内容を簡単におさらいしていこう。
著者はアメリカと世界において、今大きな変化が生まれていることを語る。どのような変化か。企業の役割の変化。「儲けているのが立派な会社」から「社会に貢献するのが立派な会社」に変わりつつある、と。著者はアメリカ人だ。資本主義の先端を走るアメリカ人の言葉か、と一瞬誰しも耳を疑うだろう。理想的に過ぎないか。しかしYahoo!の役員であった著者は、数値を交えて冷静に語り続ける。「いまアメリカ人の84%は、価格と品質が同等であれば、善良な行動を取る企業やブランドに乗り変えたいと考えている。」「社会的責任に関して評判の悪い企業で働くつもりはないと答えた人は、2008年の大学新卒者の三人に二人にのぼる。」「社会に対する貢献度を基準に投資先を選ぶ投資信託「社会的責任投資(SRI)ファンド」の数は、この一〇年でおよそ二・五倍に増加した。二〇〇五年の運用資産額は約二兆三〇〇〇億ドル。これは、一九九〇年代にドットコム革命につぎ込まれた資金のざっと二倍に相当する金額である。」「この種のファンドは、運用成績でも市場平均に比べて一五%以上好成績をあげている。」
エンロンやワールドコム、リーマンショックによる大不況等を経験したアメリカは、自身が称揚する資本主義を疑問視し始めた。アメリカを代表するドキュメンタリー映画監督のマイケル・ムーアは映画「キャピタリズム」の中で我々を豊かにするはずの資本主義が、倫理を踏みにじって自己増殖していく奇妙さをコミカルに描いた。アメリカは変わろうとしている。特に一部のアメリカのCEO達は、その変化をかぎ取り、いち早く変化に適応し、更にそれを競合他社への強みに変えている。
例えば作中でも登場するカーペット会社のインターフェイスだ。カーペットはファイバーグラスとポリ塩化ビニルという発がん物質を含んでおり、なおかつカーペット産業で出されるゴミは世界の固形廃棄物の二%を占める程で、環境への負荷が著しく高かった。インターフェイスCEOのレイ・アンダーソンは、あるきっかけから環境問題に全社的な取り組みを始め、環境保護を強く意識し始めた顧客の需要にこたえ、自社のシェアを二倍に拡大した。また廃棄物削減に取り組んだ結果、三億ドル以上のコスト削減も達成した。
更にまた世界最大級の複合企業GE(ゼネラル・エレクトリック)も、それまでの重厚長大路線を転換し、クリーンテクノロジー開発に舵を切り、二〇〇六年には二〇〇四年度比四倍の百二十億ドルもの売り上げを当該部門にてあげた。
世界最大の小売企業ウォルマートでさえ、重い腰をあげて、自社の二酸化炭素排出量を削減し始めている。
こうした変化に取り残された企業はどうなるか。消費者の社会的責任を重視した消費ニーズを読めなくなり売上が落ち、社会貢献度合いを重視する人材の心を読めず採用競争に敗れ、法律を守り社会規範に準ずる企業に盛んに投資する社会貢献ファンドからもソッポを向かれ、市場から退出せざるを得なくなるだろう、と著者は語る。初版がアメリカで出版されたのが2008年なので、作中には一部古くなっているデータや事例等があるが、大きな方向性としては既にしてそうしたものになっていることを、我々は認識するだろう。
企業がこれまでの短期的な株価の乱高下に一喜一憂し、規模の大きさをひたすら追うことから、どれだけ地球と社会にとって良い価値を生み出せるか、が重要になってくる。これは一見大きな変化で、自分の勤めている会社はこの変化の大津波に押し流されてしまいそうで、多くの人は不安を感じるのではないだろうか。しかしそうは思わないで頂きたい。私はあえて言いたい。この変化は、私達にとって大いなるチャンスである、と。
もし企業が本気になって社会を変えようとしたら、それは信じられないくらいに大きな力となって、我々の生活を変え得るだろう。ご存じだろうか。現在、世界中の国と企業を経済規模で同じまな板の上で比較するとする。実はトップ100のうち、51を企業が占めている。国家の経済規模を、企業が凌駕しているのだ。また多国籍企業の上位300社は人類の総資産の25%を所有しており、全世界の貿易の40%以上が、その企業間で行なわれている。(「ワールドインク」英治出版より)「企業が変われば、世界が変わる」というのが、あながち嘘ではない、ということが、この数字を見ただけでもお分かりになるのではなかろうか。企業の変化によって、収奪され続けて疲弊しきった地球が快復し、ぼろぼろに痛めつけられたボクサーのようになってしまった我が社会が癒えて行く可能性があるのだ。
貴方は思ったに違いない。「うちの社長の意識、変わらないかな」と。確かにCEOの意識が変われば、企業は共有地の収奪者から、社会変革の推進役になることができる。カーペット産業そのものを変えてしまった、カーペット大企業のインターフェイス社CEO、レイ・アンダーソンのように。しかし本書を読んでいる貴方は知っている。彼を変えたのは、一人の女子大学生だということを。
インターフェイス社のロサンゼルス地区担当のセールス責任者であるジョイス・ラヴァレは娘のメリッサから「サステナビリティ革命」(ポール・ホーケン著)という本をもらった。本の中にはメリッサからのメッセージが。「ママ、この本をレイ・アンダーソンに読ませてちょうだい。カーペット産業は本当にひどいことをしている。放っておけないわ!」
ラヴァレは人を介してこの本をレイ・アンダーソンのデスクに置いてもらった。当時のレイ・アンダーソンは環境問題に無関心も良いところ。しかし社内で環境問題対策を求める声が高まってきていて、仕方なく気乗りしないで本を手に取った。アンダーソン曰く「本の主張をひとことで言えば、地球が死にかけていて、その事態を招いた最大の犯人が・・・廃棄物をまき散らす産業界だと言うことだった。私の会社もその産業界の一員にほかならない。自分が地球に対して略奪行為を働いていたのだと、その時思い知った」という。翌朝アンダーソンは新しいビジョンを胸に頂いて、数日後の社員向けスピーチで、環境対策を行う企業に変貌することを宣言した。
その後カーペット製造工程で出されるゴミを大幅に削減。リース制度を作り、使用済みのカーペットの引き取りも始めた。2006年にゴミの量を数百トン単位で削減することに成功した。ゴミ削減と省エネ対策はしかも5年間で三億ドルものコスト削減をインターフェイス社にもたらしたのだ。レイ・アンダーソンはこの成功体験から、他社にも環境対策を布教し始め、1000回を超える講演を行い、産業界全体にムーブメントを創っていった。
この大きな変化も、もとを正せば女子大学生が自分の母親に「社長にこの本読ませて」と無茶なお願いをしたことに始まる。信じられるだろうか。個人の力の大きさを。
そう、私が感じた違和感への回答が、ここにある。企業が社会を変えられるとしたら、それはすなわち、企業と自分の職場を変えることを通して、私達個人が社会を変えられる、ということを意味するのだ。私達は決してサッカーのゲームを観客席から眺める観客ではない。プレイヤーの一人なのだ。どうやってゲームに参加すれば良いかって?自分の会社を変えれば良いのだ。
著者のティム・サンダースは、豊富な事例で貴方がどのように会社を変えたら良いのか、を説明する。小さなことからで良い。例えば環境問題や社会問題に関する勉強会を、仲の良い同僚と始めることからでも良い。感銘を受けた本を仲間に貸してあげることでも良い。そうした社内広報から問題意識を共有していき、徐々に社内ムーブメントを創っていけば良いのだ。著者はこうした小さな活動で、「責任革命」という世界的なムーブメントの一端を私達も担える、ということを言う。それはさながら革命兵士のように。
これは私自身の経験からも頷ける。2008年に私達のNPOは、ベイン・アンド・カンパニーという大手戦略コンサルティングファームから、コンサルティングのオファーを受けた。通常であれば高価すぎて、望んでも私達のような小さな団体が受けられる代物ではない。しかし彼らは、料金は要らない、と言う。「プロボノ」活動だと。「プロボノ」とは企業が自社の専門性を活かして、NPOを支援したり地域の社会的課題に貢献したりすることを意味する。ベイン・アンド・カンパニーはコンサルティング会社なので、そのノウハウを活かして私達NPOの経営課題の解決に力を貸してくれるというのだ。大変有難い申し出に、感動で胸が一杯になってしまったことを覚えている。
このベイン・アンド・カンパニーのプロボノ活動は、米国本社では長年行われていたらしいが、日本では初めての試みだったと言う。その試みを先導されたのが、社会貢献活動に以前から意識の高かった一人の女性コンサルタントであった。彼女の情熱的な動きによって会社が揺り動かされ、プロボノ活動が立ち上がっていったのだった。
またあるいは、こういう事例もある。ソニーのパブリックビューイング・プロジェクトだ。サッカー好きの中西吉洋さんというソニーに勤める方が、「2010年南アフリカで開催されるワールドカップを、当のアフリカの人々は見ることができるのだろうか」という疑問を抱く。調べてみると、多くの農村地帯ではテレビをつけるための電力も十分に供給されていない状態だという。世界中の人々が南アフリカを注視しているのに、足元の子どもたちが見られない皮肉。テレビを世界中に売り出す会社として、何とかできないものか、と中西さんは考え、社に訴えた。中西さんの情熱はソニー全体を揺るがした。ソニー製のプロジェクタと大型スクリーン、そして発動機を現地に持っていき、大人数でサッカーを観戦できる「パブリックビューイング」を開催するプロジェクトが発足した。更にJAICAと組んで、集まった農民達にHIV検査を受けてもらうことで、現地の保健衛生にも貢献できるようにしたのだった。生まれて初めて見る巨大スクリーンで、大好きなサッカーを見た子どもたちの気持ちはどんなものだったろうか。想像するだけでも心が踊ろう。
個人が動き、企業を動かし、世界を変える。考えれば当たり前のようだが、私達はそうしたものを何処か遠くに置き忘れ、目の前の四半期数値目標と計数管理に追われてしまってはいないだろうか。そして「まあ現実なんてそんなもんだよ」と誰でもない、自分自身に語りかけては、納得させようとしてはいまいか。
忘れてはならない。私達の母国語である日本語の「働く」の語源は「傍(はた)=他者」を「楽(らく)=楽しく・負担を軽く」させてあげること、から始まったのだ。他者を楽にさせることが働く。それがいつのまにか「会社に行って金を稼ぐこと」という意味に矮小化されてはいまいか。そんなちっぽけなものではない、働くということは。
あなたの最も傍にいる「他者」である妻や子どもを楽しく、楽にさせてあげることも「働く」だ。何もそれは大黒柱として金を稼いでくることだけではない。仕事を早く終わらせて、妻や子どもと夕食を囲み、楽しく話をすることだって、「はたらく」だ。家を綺麗に保ったり、子どもを学校に送り迎えすることだって「はたらく」だ。
こどもの学校のPTAに関わることで、地域社会という家族と同心円の他者達を楽にすることができる。消防団に入って、もしもの時に近所の他者達の命を救うことだってできる。地域のお祭りで焼きそばを焼くことだって、小さな「はたを楽にする」ことだ。
そう、あなたはあなたの人生において、いくつもの「働く」を持つことができる。いくつもの「働く」を通じて、社会に貢献することができる。家族や地域社会、友人達という他者を幸福にさせることもその一つ。会社で働き、会社を社会的存在たらしめ、社会貢献させていくのも、その一つ。あなたはあなたの行動全てによって、社会を良くする、という崇高な物語に参加することができるのだ。
理想的すぎて馬鹿げている?そうかも知れない。私達の人生は不条理に満ち、ままならないことが多く、小さなトラブルに一日不愉快になり、多くの人にとって、社会がどうの、なんていうことは遠い惑星の話だ。
でもどうだろう。私達は私達の人生の終わりに、自分達の人生が如何なるものであったか、を総括せずにはいられないのではなかろうか。自分達の人生と言う物語を、受験戦争と出世競争と住宅ローンの箇条書きだと考えたい人は、果たしてどれくらいいるだろう。私は私の人生を、愛しい他者と、その集合である社会への貢献の物語だった、と総括したいと思っている。そして自らの人生をどう解釈するか、は他の誰かの意見なんて関係ないのだ。自らの死の床に、どうだって良いその他大勢は集まってはこない。私達の人生を意味づけるのは、100%私達自身でしかありはしないのだ。
ならば、私達が「働く」ということの意味をもう一度意味づけることとて、自由ではなかろうか。「働く」ことを通じて、世界を変える。この本がそれを高らかに謳い上げるのと同時に、私達はそれを実践する自由が、今ここに与えられている。私達の手の中に。世界を変える、自由が。
2010年7月17日
夏祭りの太鼓の音が遠くに聞こえる、母国日本にて
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