駒崎 弘樹 公式ブログ 事業ニュース

僕が失ったもの、そして2022年にしたいこと

「人が命の火を燃やしている瞬間を見たい」

 

 

岩井俊二監督は、映画の中で何を表現したいんですか、という問いに対し、しばらく押し黙った後、そう答えた。

 

 

絶望の中ででも輝く光。逆境の中でで燃える炎。命の火を燃やす瞬間が、人にはある。それを見たいのだ、と憧れの映画監督に言われた僕は、しばし口がきけなくなった。

 

 

「俺は命の火を燃やしているのだろうか」

 

 

確かに自分なりに一生懸命、もがきながら生きている。この2年、コロナ禍の中で全国的な支援活動を繰り広げ、随分多くの人の力になってきたとは思う。法律もいくつか変えられたし、市場が激変する中で750人いる社員の雇用も守れた。国家的に大変な状況の中、NPO経営者として、成果は多分、出せている。

 

 

しかし、命の火を燃やせているのか。起業当初の20代は、確かに命の火を燃やせていた。寝食を忘れ、仕事に打ち込んだ。毎日ストレスで吐いていたけれど、それでもやめようと思わなかった。好きだった恋人とも仕事を理由に別れを告げ、自分の120%以上を仕事に叩きつけていた。

 

 

夢中だった。仕事は仕事以上の存在で、それはもう天啓であり、使命だった。この世の中に無いものを生み出し、それによって人が救われるなら、死んでも良いと本気で思っていた。

 

 

では42歳の今はどうだ。20代の頃の自分に比べて、10倍知識はつき、20倍まともな意思決定ができ、30倍仕事はできるようになっている。良いことだ。けれど、そのせいであの時のような夢中さを、情熱を、狂気を持ってはいない。全力だけど冷静に、周囲に配慮をしながら、将棋を打つように経営をしている。良く言えば成長であり、成熟。

 

 

悪く言えば、大切な何かを失った。

 

 

それで良いのか。いや、歳を取るというのは、そういうものだよ。いつまでも若い頃と同じペースで働くことなんてできやしない。そんなことをしていたら、体も心ももたない。もう一人の自分はそう言う。

 

 

経営者として、ビジネスパーソンとして、成熟した大人としてはそうだろう。

 

 

しかし自分は経営者ではなく、クリエイターでいたい。

 

 

ビジネスパーソンではなく、革命家でいたい。

 

 

成熟した大人ではなく、いつまでも子どもじみた挑戦者でいたい。

 

 

世の中に生まれていないコンセプトを生み出し、社会に実装したい。優れた彫刻家が丸太の中に既に彫像が見えていて、削るのではなくその丸太から「取り出す」ような感覚を覚えるように。自分にはまだ世の中にはない事業や制度が既に「見えている」。そのアイデアは世の中に生まれたがっていて、自分はそれを「取り出し」たい。それが明らかに社会を前進させることが分かっているから。

 

 

そこに命を燃やしたい。がむしゃらに、それしか考えられない、というくらいに。七転八倒もいとわず。精神的安定も、冷静さも放り投げて。

 

 

40代にもなって馬鹿げているのだろうけど、自分はそんな風に生きていきたい。誰にも理解されなかったとしても、理解どころか誤解され、嫌悪の津波に押し流されたとしても。

 

 

これからどう生きたいか。自分に問うた時に、そんな風な思いを抱えている自分に気づいた。その上で今年何をしたいのか、を何となく書いてみたいと思う。黙ったままやるのも良いけれど、一旦外に出して眺めておきたかった。

 

 

なお、このリストは僕の独り言みたいなもので組織としてオーソライズされているわけではないので、関係者が読んでいたら、そのつもりで眺めてほしい。

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仕事編:

・「政策起業家」という概念を広げ、政策起業家を育てたい

 10数年ぶりに書き下ろしの新著を書いた。「政策起業家」という本だ。現場で起こした小さなイノベーションを、制度や法律のようなルールにすることで全国に広げ、より多くの人々を助ける手法だ。僕がこの10年近くやってきたことを、全部ぶっ込んだ。なぜか。

 

 

 僕以外にもそういうことをできる人をたくさん増やしたいから。いや、増やさないとこの国はヤバいから。坂道を転がるように衰退していく日本は、多くの社会課題に蝕まれている。サバンナで死にかけの動物にアリが群がるように。

 

 

 さまざまな領域でルールを変え、課題解決していかないと、手遅れになってしまう。

 

 

 そのために本を書いた。思想とやり方を知ってもらうために。しかしそれだけでは足りないかもしれないので、彼らが集い、学ぶ場所を何かしたら作らないといけない。技能を世に広めるには、教科書と学校が必要なように。

 

 

 書いたばかりの本が教科書だとしたら、学校的なものをつくれたら、と思う。私塾のような形式にするかインターン的な形式にするかは分からないけれど。いずれにせよ、同志を育てねば。

 

 

・「みんなの保育園」を実現したい

 保育園は戦後70数年間、共働き家庭とその子どもたちを支える存在だった。けれど今、その存在意義を転換せねばならない。地域の児童福祉を丸ごと支える存在へと。すなわち、「地域の全ての子どもたちのための保育園」になる、ということ。

 

 

 子どもに障害があって働けない母親や、子どもがたくさんいて育児しかできない母親。彼女たちは専業主婦とくくられ、保育園へのアクセスを断たれる。彼女たちにこそ、保育園が必要なのに。

 

 

 限られた家庭の子どもたちが週5通う場所ではなく、地域の色んな家庭が2週間に1回、1週間に1回でも通って、保育園と一緒に子育てする。保育園は伴走者になる。

 

 

 これは、日本から虐待という言葉を無くすための、センターピンになる。こどもはみんな、親が働いていようが経済状態がどうあろうが、どこかしらの保育園と繋がっていて、「みんなに育てられる」社会にする。

 

 

 そのためには保育園を開く必要がある。戦後70数年間あたりまえだった仕組みを、転換したいのだ。

 

・「デジタル×福祉」(福祉DX)の波を起こしたい

 もう日本の子どもの福祉は、今まで通りじゃ成り立たない。なぜか。人がいない。人口が減り続けている中、専門家も福祉の担い手も減り続けている。でも経済は衰退しているから、課題は増え続ける。このままじゃ無理だ。

 

 

 それを救うのはデジタルだ。対面型ソーシャルワークだったら、同時間に1人にしか相談に乗れない。でも、LINE相談だったら、同時間に複数人の相談に乗れる。相談内容を複数人と共有できる。外国在住者に入ってもらえれば、24時間相談も可能になる。

 

 

 子どものデータベースが整備されたら、各支援機関でバラバラに支援していた状況を、チームで支援できるようになる。ある環境で親がどういう状況だと虐待が起こるのかデータが取れるようになり、「虐待される前に」支援することができる。起こる前の予防は起きてからの対処より何倍も効率が良い。そして悲劇は起こらない方が良い。絶対に。

 

 

 鍵はアナログにまみれた児童福祉の世界に、どうデジタルを組み合わせることができるか、だ。この国に、福祉DXの波を起こさなくてはいけない。政府に任せていれば進むわけじゃない。民間からモデルケースをつくって、それを政策に反映させていかないと。「モノがある」ことは、最速で社会を変える方法の一つだ。僕たちがそのモノを創る。

 

 

・こども基本法を成立させ、こども投票制につなげたい

 年明けからこども基本の議論が自民党内で始まる。こども基本法については日本財団の https://kodomokihonhou.jp/ このサイトが詳しいが、子どもの権利をしっかりと位置付ける、初めての法律だ。

 

 

 例えばブラック校則がはびこっている。下着の色を決めていたり、ツーブロックを禁止していたり。こうした子どもの権利侵害そのものみたいな事象が生まれるのは、子どもの権利より、学校の運営しやすさを優先できる構造があるから。子どもの権利が学校の都合よりも上位概念としてあることを法的に位置付けることで、ブラック校則が寄って立つロジックそのものを無力化できる。

 

 

 このこども基本法が謳う、子どもの権利の中に、「参加権」というものがある。子どもが自由に意見を表明でき、意思決定に参画できる権利だ。

 

 

 フローレンスの保育園では、3から5歳の子どもたちに「サークルタイム」といって議論して、意思決定してもらっている。例えば運動会をやるかやらないか。やるとしたらどうやるかなど。

 

 

 そんな小さな子たちが議論と意思決定できるのか。驚くことに、できるのだ。

 

 

 日本の学校空間では、ルールは所与のものとして「守ること」を教わる。しかし、「創る」ことと「変える」ことは教わらない。状況に応じてルールは作られ、変えられるべきなのに。

 

 

 こどものうちから、ルールをつくり、変えられる成功体験を積むことで、我々は自らの社会を創り、変えられることを信じられるようになるだろう。

 

 

 さて、少子高齢化が進む中、このままだと意思決定が高齢者層に偏るだろう。それは未来投資を減退させ、衰退を決定づける。ではどうすれば良いか。

 

 

 子どもたちも社会的意思決定に参加できるようにするのだ。すなわち、子どもにも一票を付与すれば良い。「こども投票制」(ドメイン投票制)だ。

 

 

 それが超高齢社会の民主主義を救うことになるだろう。こども基本法とシチズンシップ/ルールメイキング保育(教育)は、その一歩となる。

 

・良いこども庁になるよう応援したい

 この国は子どもをずっと軽んじていた。子ども関連の国家予算は、諸外国と比べてみすぼらしいこと甚だしい。そのせいで、少子化に世界最速のスピードで突っ込んでいった。来るはずのベビーブームは来ず、少子化と縮退は決定づけられた。

 

 

 そんな中、2022年の通常国会には、こども庁設置法案が出される。日本の子ども政策を進める、千載一遇のチャンスだ。名称問題でケチがついてしまったが、この機会を逃して、子ども政策の予算と関わる人員を増やすタイミングは今後10年来ないだろう。

 

 

 せっかくできるなら、良きものになるように、民間から応援したい。現場の知識をもとに、様々な足りないところを提言し、民間出向が必要なら、人も出したい。

 

 

 ここから少子化を止めることはできない。しかし、少なくなった子どもたちが、未来世代が、幸せであることは実現できないことじゃない。ぬるい希望は要らないけれど、この世代としてベストは尽くして死ぬべきだ。それが世代的な責務だと思う。

 

 

・グローバルに社会イノベーションを広げたい

 自分たちが国内で起こしたイノベーションを諸外国に「輸出」できるのではないか、と思った。

 

 

 例えば昨年、男性産休創設に関する法律や医療的ケア児支援法を成立させることに尽力した。男性産休に関しては、僕たちはフランスの出産時父親休暇を参考にしたのだが、アジアではまだ無いか、珍しい制度だと思う。だとしたら、我々と同じく少子化に悩む、台湾や韓国等に制度を紹介し、各国で導入していってもらえばどうだろうか。

 

 

 また、日本は世界で一番出産時に赤ちゃんが無くならない国だ。それゆえ、医療的ケア児先進国でもある。そうした我々がつくりあげた医療的ケア児支援法は、必ずやこれから医療的ケア児が増える他国でも役に立つはずだ。

 

 

 こうした日本発の制度イノベーションを、他国に紹介し、その国々での実現を目指していくことによって、我々は日本人を助けるだけでなく、人類に貢献していけるのではなかろうか。

 

 

 これまで国内に「閉じて」いた発信を、グローバルにも行っていき、かつ諸外国の政策意思決定者や政策起業家、社会起業家たちのコミュニティと連携していって、日本発のイノベーションを伝播させることをやっていきたい。

 

 

プライベート編:

・サーフィンやる

 去年のダイビングに引き続き、「やったことをないことをやる」シリーズ。やったるぜ。

・ダンスやる

 PoliPoliの伊藤くんに社会人ダンスサークルに誘ってもらって、筋トレだけだと有酸素運動が足りないから、全くの未経験だけど挑戦することに。

・娘の受験サポートがんばる

 今年は6年生なので恐怖の中受本番。大学の頃、塾の先生やってて、天職かっていうくらい教えるの得意だったのに、自分の娘だと全然ダメ・・・。

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 正月ノリでやりたいことを書き殴ってしまったけれど、毎年7割くらいは実現しているので、見ていてほしい。

 

そしてもし良ければ、僕と共に旅をしてほしい。荒野を進むことになろうだろうけれど、未来を切り開く開拓者になれることは、間違いない。

 

 

 最後に、何よりも自分が自分の人生に夢中になれるよう、全力を尽くすことをここに宣言したい。

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