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【書評】「だいじょうぶ3組」から学ぶ教育の本当の問題


敬愛する友人、乙武洋匡の初の小説作品。

だいじょうぶ3組
だいじょうぶ3組 乙武 洋匡

おすすめ平均5つ星のうち5.0
5つ星のうち5.0現代の灰谷健次郎になってほしい。
5つ星のうち5.0子供から大人まで楽しめる作品

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著者本人をモデルとした小学校教師赤尾先生の、学校での奮闘ぶりを描くハートフルな作品で、感動的な小説というのがおそらくは一般的な評価でありましょう。僕も読んでて何度も泣きました。
しかしここからは、あえてこの小説に「描かれなかったもの」についてお話したいと思います。「描かれなかったもの」が「描かれたもの」によって逆照射されたためです。
作品内では、新任の主人公の赤尾先生は教室で起こる様々なトラブルに立ち向かいます。上履きが隠されてしまったこと、競争させない運動、不登校等など。ベテランや先輩の先生に相談しながら、子どもと向き合っていくのです。
実際に小学校教師を経験された乙武さんの教師達の描き方はとてもリアルで、教材研究や授業の綿密な準備等、教師の業務量の多さ、熱心さの息遣いが伝わってきます。
そうした「現場の教師」の奮闘の姿が描かれているわけですが、そうした姿を見れば見るほど、僕は思いました。「果たして僕達にこの人達が頑張っている『教育』をどうこう言う資格なんて、あるのだろうか」と。
教育と言うのは議論しやすいテーマです。やれ日本人の学力が下がった、考える力が失われている、教師の質が低いせいだ、最近の若いやつはメールでしかものを言えないこれは最近の過保護な教育のせいだ、エトセトラエトセトラ。学校というのは日本人皆にとっての唯一の共通体験なので、それぞれが学校に対しては何か言える、ということもあり、百人百様の教育観を持っています。そして大体の場合、「今の日本の教育」については危機感を持っているわけです。自分自身もよく教育問題についてそれっぽいことを話したり書いたりします。
ところで「日本の教育がまずい」と言った場合、それは大方「学校教育」を指しますね。学校の先生の質や一方的な授業のやり方等ですね。しかし当然ながら教育は学校の中だけのものではありません。どんなに学校が良くても、その前提がぼろぼろでは、こどもはまともな学校教育を享受できません。前提とは、家庭(とそれを内包するコミュニティ)です。
先日こんな話を知人から聞きました。彼女のこどものクラスは学級崩壊ぎみ。それと言うのもクラスの一部のママ達(幼稚園仲良しママグループがそのまま小学校仲良しママグループになったそう。)が教育方針の違いから先生を吊るしあげ、そうしたプロセスを見た子どもたちが先生をなめ始め、注意を聞かなくなり、全体の統制が取れなくなってしまった。そうするとやっぱりあの先生は無能なんだ、ということでくだんのママ達が吹きあがり教育委員会に提訴し、先生のメンタルがやられ学級経営が麻痺している、という状態だと言います。
僕は大変ですね、と同情しつつも
「ちなみになんで、そのママ達に『もうちょっと生産的な対話をしましょうよ』と貴女は言わないんですか?」と聞きました。
彼女はちょっと考え、言いました。
「いや、それを言って自分が嫌われるのは良いですけれど、自分のこどもがその子のこどもからイジメを受けてしまったら、と思うと中々言えず・・・。」
「で、そのママ達が先生を保護者会で吊るしあげている時に、あなたは何をされていたんですか?」
「私たち共働きママ(=保育園ママ)は、怖いなぁと思いながら特に発言せず見てました」
と彼女は答えました。
僕はここに二重に問題を見た気がしました。
一つは教育のサービス化による、親の「顧客」化。そしてそれに連なるクレーマー化。
もう一つは大人が「市民」として成長する場としての公共空間(コミュニティ)が欠落している、ということ。
一つ目は教育や福祉などは「あなたが公共的義務を果たす個人である限りにおいて、私はあなたに●●を提供する」という相互貢献性の求められる領域にも関わらず「行政サービスは全ての人に等しく均一に提供されなければいけない」という行政への過剰期待(とそれを真に受けた過剰品質)の結果。
そして二つ目は、大人自身が、公共性を埋め込まれ、成長していく地域等のコミュニティが、決定的に欠落していることで、「議論を尽くして最善を選択する」という最も基礎的な民主主義のプロセスも経験できないこと。その最初の議論自体が「反対意見を言うことで報復が来るのではないか」というように前提の部分で崩れ去っていることです。
さてこうした学校教育の前提にあるはずの「家庭(とそれを内包するコミュニティ)における教育」が既にしてぶっ壊れ始めているのですが、これって何かに似ていると思いませんか。
そうです、政治と合わせ鏡のようです。
偉い人が自分達に良い経済や環境をサービスしてくれるべきだ、という「顧客」化。
「市民」として成長する多様な人々との議論の場すらないことで、政治家を見下す癖に、自分達が民主主義の基本たる議論すらできてないこと。
ダメになり続けていると言われる政治。おかしくなり続けていると言われる教育。どちらにも共通の根がありませんか?
そうです、それは僕たちです。僕たち国民がどうしようもないから、政治も教育も掘り崩されていくのです。
それは「向こう側」にいる政治家や官僚が、「向こう側」にいる校長先生や担任の先生が、彼らだけが悪いのでは全くありません。むしろ顧客としてふんぞり返って、社会を背負おうという気概も市民として成長しようと言う意志もない、我々こそが元凶なのではないでしょうか。
僕たちはこの社会のお客様ではない。この社会の担い手です。
こども達に泣きながら関わろうとする赤尾先生の100分の1でも良いから、こども達に、そしてこの社会に真剣に関わってみなくてはいけないのではないでしょうか。
政治や教育をなんちゃって語る前に、自分が真に市民であるかを問おう。こどもと向き合っている実践者であるかを問おう。そして自ら成長し、この社会から学ぼうとする学習者であるのかを問おう。
この本、いやこの著者から僕はそうした自らへの戒めにも似た問いを与えてもらいました。乙武先生、ありがとう。

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当記事はNPO法人フローレンス代表理事 駒崎弘樹の個人的な著述です。
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