駒崎 弘樹 公式ブログ ライフ・子育て

友の命日におもう

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毎年必ず、この日は休みを取るのが恒例となっている。
毎年ブログにこのことを書きとめる。
 
おそらく僕たちが思い出し、記録しなければ、彼の家族や一部の限られた人しか、もう誰も思い出しはしないのだろうと思うと、僕がしつこく記録し続けることは、多少意味があるのだと思う。
 
昔(7年前に)書いた記事を転載したい。
1999年夏にあったことを、世界のどこかに残しておくために。
 
 
年に1回、6月26日は必ず休みを取って、友人の
亡くなった場所に「墓参り」に出かける。
 
霧雨降る中、湘南向け列車に揺られながら、
あの頃のことを思い出す。
 
大学に入ったばかりで友人たちと共に学生映画を撮り始めた。
映画と言っても商業用のデジタルビデオカメラで取ったものをパソコンに取り込んでそのまま編集するような、今となっては当たり前の作業だったのだが、7年前の僕たちには新鮮で、自分達の手で大きな物語が創れるなんて、まるで夢のようだった。
 
七夕にある学園祭で、初の作品を上映してしまおう。
そのために、毎日授業の後は鞄を友人の家に放り投げ、町中で撮影を重ねていた。
 
七夕まで間もない7年前の今日も、夜を徹しての撮影作業で、友人宅に集まって後半シーンを撮影するところだった。
 
カメラの担当だった友人が、BGM用の音源を撮影の合間に借りに行った。駅までは5分。レンタルCD屋まで行っても
10分も掛からない。しかし彼はいつまでたっても帰ってこない。
 
気づくと皆で待機していたアパートの脇の小田急線が、長らく止まっている。救急車の音が鳴り響く。
すぐ近くの踏み切りの周りには、人だかりができていた。
 
監督役の友人が来ていた警察に事情を聞いた。
踏み切りで見つかったのは、カメラマンの友人の学生証だった。
 
後に現場の目撃者から、友人が踏切内に入った酔っぱらいを助けようと飛込んで行ったことを、僕らは知る。
残念ながら、助けようとした友人も、彼が助けたかった人間も、もはやどこにもいなかった。
 
 
列車に揺られながら、おぼろげになった記憶を僕は手繰りよせようとする。
 
ああその後の通夜だか葬式かで、棺を車か何かに載せたんだっけ。
その棺が余りにも軽くて、なぜなら彼の体をその棺の中に入れることができなくて、ただ棺だけを僕らは運んで、
その軽さで彼がもうこの世界のどこにもいないことを、肌で分かってしまったんだった。
 
車内では「終点、湘南台、湘南台」と女性の乾いた声のアナウンスが聞こえる。
 
電車から降りて、駅から階段を登った。駅前のロータリーに出ると急に懐かしい光景がむっとした空気と共に現れて、軽く目眩がする。
 
ここから歩けば、ものの5分で踏み切りまで着く。
けれども、どうも足がそちらに向かず、駅前のチェーンの喫茶店に入る。
 
苦いだけの液体をすすりながら、そうしなければならない儀式のように当時のことを考える。
 
その時作っていた短編は何とか完成させて、彼の両親を呼んで上映会をしたんだっけ。お父さんは目をしばしばさせて、
「面白かったよ」って、僕たちにではなく、呟いていたっけ。
 
結局友人たちの小さな集まりは映画サークルになって、10倍くらいに広がり、僕たちが卒業した今でも活動を続けている。今の後輩達には
7年前にそんなことがあったなんて、誰も伝えはしないけれど。
 
空のコーヒーのマグカップを口元に持っていき、また元のテーブルの上に戻すことを何度かやって、ようやく店を出ようと思った。
 
線路沿いの道にはベビーカーを押す母親と、杖をついて歩く老婆とがいて、時折笑い声がどこかから聞こえるくらい、
和やかなものだった。
 
しかし僕は近くにいけば行くほど吐気がしてきて、時々立ち止まる。
風景と自分とがどこかずれてるような気がして、目頭をつまむ。
 
毎年毎年、僕は彼の死を悼む友人たちとは別の時間にこの踏み切りに、あえて一人で向かう。
皆となら心安らかに、談笑すらしながら行けるのは分かっている。
でもあえて自分だけで彼と向き合わねばならないような気がどうしてもして、それを自分の中の大切な約束ごとにしている。
 
踏み切りが見えた。その瞬間、カンカンカンカンという金属音が無造作に鳴る。間があって、ガコシャコガコシャコした暴力的な
音と共に、海岸行きの小田急線が通りすぎる。
 
その機械が通りすぎた後、踏み切りの棒が高く昇り、僕は湘南台4号踏み切りの前にいた。湘南台4号の脇には灰色の卒塔婆が突き刺さり、
その卒塔婆の表面の戒名も単なる黒い染みになっていたが、指の背でなでると、少し温かいような木の手触りがした。
 
「久しぶり」
 
と軽く呟いてみた。
 
辺りの住宅街は静かで、時々こどもの声が聞こえるだけだった。
 
僕は去年来た時から、今日までの自分にあったできごとを、心の中で声に出しながら説明する。
 
 
なあ、この前報告してから、こういう進展があったんだ。
仕事仲間も増えてさ、ありがとうなんて言ってくれる利用者の人もいるんだ。嬉しいだろ。好きな子とは別れちゃったよ。
しばらくは映画も一人で見なきゃね。それから・・・。
 
そんな風に心で話しかけているうちに、普段は誰にも話すことのないことさえ、喋り始めてしまう。
 
こんな風につらくて、もう辞めてしまおうかと思ったんだ。
自分のしたこういう決断が合っているか分からなくて、バカみたいに不安で仕方がないんだよ。
 
 
幾たびが電車が通りすぎ、踏み切りが開いたり閉じたりし、人が通ったり通らなかったりする。でもその内そんな音も
耳に入らなくなって、心の中で話すことに、僕は一生懸命になっていく。
 
 
なあ今泉。俺はお前に追い付こうと思って、あれからずっと走ってきたんだよ。お前と作ろうぜ、っていってた映画サークルも
つくった。契約書が何かなんてしらないくせに、ベンチャー企業の社長だってやったよ。
怖くて怖くて仕方なかった。その後、NPOなんて周りが誰もやってない、でも誰かがやらなきゃいけないことを
することにしたんだ。それだって不安で一杯だったよ。
 
でもお前があの時たった一人で感じた恐さに比べたら、俺が感じた恐怖なんてゴミみたいなもんさ。
 
今でもよく考えるんだよ。
お前が踏み切りをくぐろうとした瞬間、お前はどんな気持ちだったろう。その一歩を踏み出した瞬間に、
お前は何を思ったんだろう。
 
そしてどうして俺はそこにいてあげられなかったんだろう?
どうしてお前ではなく俺が音源を借りにいかなかったのだろう?
誰でも良かったはずなのに。
 
なのにどうしてお前は自分が死んでしまうかも知れないのに、誰かのために一歩を踏み出せたんだ?
そんなお前がどうして死ななきゃいけなかったんだい?
 
その答えを知るためにね、俺は本当にあれから走り続けてるよ。
けれどいくら走っても、お前には追い付けないんだよ。
お前の背中さえ見えてこない。
そしてお前が俺たちに見せた行為の何万分の一すら、まだ俺は為せてはいないっていうのに、俺は年ばかりずるずると
取っていってしまうんだ。
 
でもね、俺はお前に約束するよ。俺は生涯を賭けてお前に近づこうと努力する。本当だよ。
 
そうしたらさ、お前が次に俺に会った時、お前は俺に、酒でも飲もうぜって笑いかけてくれるかな。
 
お前は俺の友だちだよ、って言って、俺を許してくれるかな。
 
 
カンカンカンカンカン、と踏み切りが閉じた。
ぶぉーーーーっと電車が走り過ぎ、風圧が頬をかすめて、閉じていた目を開いたら、さっきより少し踏み切りの
周りの雑草の緑が濃くなった気がする。
 
そしてさっきより少しだけ、今日という日があることを美しく思えたような気がしてくる。
 
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