ある女性CEOが、震災後に寄付をはじめた理由。
人や地域、コミュニティなど、それまでの社会の構成要素に、大きな変容をもたらした東日本大震災。
直接被災したわけではなくても、「震災後、生き方を見直した」という方も多いのではないでしょうか。
今回お話を伺った中村さんは、東日本大震災(以下、震災)をきっかけに寄付や、ボランティアをはじめています。そして、個人としての活動に加え、合同会社西友(以下、西友)の社会貢献委員会の設立にも携わり、会社としての社会貢献にも取り組みました。
中村さんが、ビジネスに邁進してきた中で感じた、寄付や社会貢献への想いを伺いました。
1964年神奈川生まれ。幼年期に高度成長を経験、小・中学年でオイルショックを経験。早稲田大学卒後、西友入社。その後グロービスに入校し、戦略、ファイナンス、人事、組織行動学、マーケティング、ロジカルシンキングなどを学ぶ。一旦西友を退社し、カルフール・ジャパン株式会社(現イオンマルシェ株式会社)を経て、株式会社若菜にて代表取締役社長を務める。退任後、HAVIサプライチェーン・ソリューションズ・ジャパン合同会社職務執行者社長。
震災後に見えるようになってきたもの
駒崎:早速ですが、フローレンスに寄付をして頂いた経緯や、想いを教えてください。
中村:はい、西友にいた時に発生した、東日本大震災がきっかけですね。
震災後、寄付や、ボランティアにも関わるようになりました。それまでは、ビジネスに邁進していましたが、自分達の力ではどうしようもない震災を経験しました。当時は、東京でさえ、店頭に物がなくなりました。自分達がやっている小売が、社会のインフラになっていることを強く実感しました。
しかし、ビジネスに加えて、他にも何か出来ることってないのかな?と、考えるようになりました。その頃から、震災に関わらず、社会問題の解決に取り組む人たちが、視野に入ってきました。
駒崎:震災がきっかけだったんですね。フローレンスを知ったきっかけはなんでしょう?
中村:きっかけは、ふくしまインドアパークのプロジェクトでした。西友のメンバーのFacebookで、フローレンスがインドアパークの建設地を探していることを知りました。そのメンバーから相談を受け、自分や会社に出来ることがあれば、少しでも役に立ちたいという気持ちがあり、社内の担当者につないで、フローレンスと一緒に施設をオープンさせたのがはじまりでしたね。
※フローレンスが2011年12月に福島県郡山市に開園した、外遊びができない福島の子どもたちのための屋内公園。2015年3月に、その役割を終え閉園した。
駒崎:フローレンスと西友をつないでいただいたお一人だったんですね。ありがとうございます。
中村:あの時は、個人で何をしたらいいのかはわかりませんでした。幸い、西友が成熟し、社会貢献委員会を作り、会社として寄付をしていくことになったので、その委員会の発足に、寄付の基準づくりなどで携わることができました。
その候補団体の中にもフローレンスがあり、改めて、会社として寄付をしました。「女性が社会に進出し、活躍できるようになってほしい」というのは私の中の一つのテーマだったので、子育て支援を行っているフローレンスを応援できてよかったと思っています。
ベンチャーマインドを応援したい
駒崎:中村さんのようなビジネスサイドのプロからして、フローレンスは信頼に足るNPOでしたか?
中村:特に不信感などは抱きませんでした。もちろんフローレンスも、組織として完璧ではなかったと思いますが、むしろ、何か新しいものをはじめるときは、何もかもがしっかりしていることを求めていても、何もできないじゃないですか?
私は西友の親会社であるセゾングループに新卒で入ったんですね。文化事業部をやっていたり、無印良品を生み出したり、社内保育園もあったりと、先進的な企業でした。
私自身も、入社2年目で新規ビジネスに関わったりしましたし、新しいものを取り入れて、軌道に乗せることが好きなんです。だから、面白そうだな、応援したいなという気持ちの方が大きかったですね。
駒崎:ベンチャーマインドを持った人を応援したい、という気持ちだったのですね。関わり始めてからはどうでしたか?
中村:想像していたよりちゃんとしていると思いました(笑)。駒崎さんのFacebookで、他のNPOとの連携や、国政への働きかけなど色々な活動を拝見しています。ビジョンがしっかりされていて、着々と進めていて、時代がいい方に変わっている、頼もしいなという気持ちです。
駒崎:ありがとうございます。ご評価いただき本当に嬉しいです。
自問自答した先にあった自分なりの社会貢献
駒崎:会社としての支援に加えて、個人としてもフローレンスを支援してくださっているのはどうしてでしょうか?
中村:震災のあと、被災地も含めて、社会的な課題が改めて目に見えるようになってきて、ずっともやもやしていました。
まずは、フローレンスの寄付会員として毎月の支援をするところからはじめました。
それまで、「自分のキャリアをどうするか」とか、自分のことしか考えていませんでした。私は、子どももいないので、震災をきっかけに、社会に何を残すか、ということを考えるようになったんですね。
それなりのお金を稼ぐようになっていますが、そのことだけに満足していいのか、どういう生き方をするのがよいのか、と自問自答するようになりました。
将来的には、自分で何かもっとできれば、という想いもありますが、まずは、ベースとして寄付をしっかり続けていくことが大事だと考えるようになりました。
駒崎:アニーの立ち上げのクラウドファンディング(※)で大きな支援もして頂きました。まったく新しい取り組みに寄付することは、ハードルも高くて、勇気がいるかと思うのですが、お気持ちを教えてください。
※2015年に、障害児訪問保育アニー立ち上げに際して行ったクラウドファンディング。合計で1,500万円以上の寄付が集まった。
中村:ひとつは、あの頃ってクラウドファンディングって珍しかったですよね。私は、興味を持つと、体験したくなるタチで(笑)。もうひとつは、アニーという事業に社会的意義があり、難易度が高いながらもチャレンジしていこうとしていることに敬服しました。
自分の中でもインパクトのある貢献をしたいという気持ちがありましたし、どこかで、お金にしがみついてもしょうがないな、と。次世代や社会のために、意義のあることに使いたいという気持ちもありました。
駒崎:ありがとうございます。
「ビジネスと、寄付と、ボランティア」という3つの軸
駒崎:中村さんはボランティアにも参加されているのですか?
中村:陸前高田に、英語を教えにいくボランティアに参加しています。
一般社団法人はなそう基金の、古森剛さんという方が立ちあげています。2011年の10月から、向こう10年間、月1回足を運び英語の音読会を開く……という取り組みをしている方です。小学生からお年寄りまで、社会人の講師が英語を教えています。
彼は、震災は、日本の田舎の弱さが見えるようになったきっかけだったのではないかと言っており、将来を見据え、交流人口を増やし、海外と若者を繋いでいます。
私も、音読会の講師として、2年で10回以上足を運びました。また、関連のイベント運営の責任者としても、携わるようになりました。
駒崎:私たちも仙台で保育園運営をしていますが、続けることはとても難しいですよね。震災から時間が経つと徐々に寄付は集まらなくなる、でも続けないと意味がない。 継続して支援されているのはすごいことだと思います。
中村:今は、寄付をすること、自分で何かを活動すること、そしてビジネスという3つの軸で走っています。でも、これからもっと変わるかもしれないし、もっと可能性があるかも、という気持ちもあります。たとえば60歳になった時に、いつまでもビジネスの最前線にいるのがいいのか?もっと、自分でできることを考えた方がいいのか?と。
駒崎:震災が時代の価値観や、人の行動変容を呼び起こした気がしますね。
中村:震災後、意識が変わった人が増えている実感もあります。いろいろな人達とネットワークができてくると、世の中も捨てたものではないなと感じます。
駒崎:最後に、フローレンスへの期待を教えてください。
中村:本当に、フローレンスがやっていることは社会にインパクトがあると思っているので、応援しています。ですが、面をどれくらい、広げられるか。いいことをしていても、利用している地域が限られていたりするといけないですよね。仲間を増やして、社会に広げて、変えていってほしいと思います。
駒崎:ありがとうございます。
中村さまには、東日本大震災をきっかけにを抱いた想いを、フローレンスに託していただきました。
これからも、誰かの想いを受け止められるよう、信頼して頂けるようにつとめていかなければ、と感じました。
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