誕生日は「祝われる日」から「世界に感謝する日」にしてみたら、幸福度が爆上がりした
46歳になりました。
ハッピーバースデー自分。
正直誕生日って、「祝われる」っていう受け身の日だから苦手だったんですよね。
すごく嬉しいんですけど、こっちは祝われる気マンマンの姿勢ですから、祝われて当たり前、それどころか、「そういえば、あの人から連絡来ないな。あいつ、散々面倒見たのに。ちぇっ」とか思っちゃって(器ちっちゃ!)
なんというか、そういう自分のお客さん的非主体性に、自分でイライラする、ていう。
だからなんとなく、嬉しいけど、モヤモヤしちゃってたわけです。
でも、今年はふと思い立って、変えてみたんです。
誕生日を「祝われる日」から、「世界に感謝する日」に。
「世界に感謝」というのは、「自分が生きられていることに感謝する」「自分を生かしてくれる人たちに、感謝する日」ということです。
なんか若干スピってるかもしれないのですが、実験的にやってみたわけです。
できる限り多くの友人たちに、
「改めてなんだけど、ありがとう」
「あの時、こんなふうに接してくれて、ありがとう」
みたいに、その人の顔を思い出しながら、今更ですが感謝を伝えてみたのです。

👆️普段連絡しない、父親母親にLINEしてみたり
そしたらなんと。マジで全然違ったんです。
なんというか、ほんっっっとにありがたいな!みたいな。
泣きそうになるというか、胸が締め付けられるというか。
感謝してかかることで、本当に幸せな気持ちになるんですね。
感謝って、相手に気持ちを伝える、つまり自分から気持ちが出ていく、っていう方向性のアクションだと思っていたわけです。しかしそうではなく、感謝することで、心の幸せボタンが発動され、自分が満たされる、というメカニズムだったのです。
なんてこった。感謝こそ、最強の幸せツールだったとは。
今、自分は46歳で、またゼロから、裸一貫で起業という挑戦をしています。
スタートアップの世界は、一部だけしか成功しない、とてもリスクの高い業界です。
自分の理想と信念を頼りに、そんな挑戦をさせてもらえているのも、社員が集まってくれているから。家族が以前よりもひもじい生活に耐えてくれているから。友人知人は、何者でもなくなった僕に、変わらず優しく楽しく接してくれています。
そして多くの人たちが、僕を思い出し、わざわざメッセージを送って来てくれるのです。
こんなにありがたいことが、あろうか。
考えれば考えるほど、ありえない確率のことのように思えてくるのです。
みんなにメッセージを返せないのは残念ですが、ここで改めてお礼を申し上げたい。
ありがとう、と。
たまたま同じ時代に生まれ、たまたま知り合い、たまたま気が合い、たまたまずっと繋がってくれている、あなたに。
これからも、あなたとともに、在らんことを。