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~自らの子どもの在宅介護経験を、社会に~ 障害児保育スタッフ渡邉みきの紹介(前編)

2014年9月に病児保育の”こどもレスキュー隊員”として入社した渡邉が、新規事業の障害児訪問保育アニーの保育スタッフに手を挙げた理由は…。

保育スタッフのインタビューを、前編・後編に渡ってご紹介します。

 

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◆ 入社のきっかけ:子どもの気持ちをくみ取る丁寧な保育がしたい

フローレンスに入社する前は、企業内保育室で勤務。集団保育のため時間に従って行動していきます。子どもは可愛いし、学ぶことも多かったのですが、一人ひとりの子どもに寄り添ってゆったりと保育をしたいと思っていました。

丁寧に1対1でお子さんに向き合える仕事がフローレンスにあると知り、病児保育の仕事に応募しました。

 

◆ 脳腫瘍の娘の在宅介護:「私が頑張らなくちゃ」

私が資格を取って保育の仕事に携わりたいと思ったのは、病気の娘の、在宅介護の経験がきっかけです。

娘は5歳で脳腫瘍を発症し、10歳までの5年間全力で病気と闘いました。

手術をするたびに様々な後遺症が出て、歩くこと・食べることができなくなりました。そして、呼吸が不安定にもなり、人工呼吸器をつけると同時に声を失いました。

「お母さん」と呼べない娘の変化にいち早く気づけなければ!と、一日中気が張って眠れない夜が続きました。

入院中は、周りに闘病仲間がいて不安な気持ちを吐き出すことができたし、緊急時には医師、看護師がいて処置をしてくれ、精神的に辛くてもどうにか乗り越えることができました。

状態が安定し、在宅介護の話が進んだ時には喜びはあったのですが、「私にできるのか」という大きな不安が大半を占めました。もちろん主人や私の両親、姉がとても協力してくれましたが、それでも日中ほぼ一人で娘を看るという責任は、母親である私の肩にのしかかり、周りの助言や心遣いが重く感じることさえありました。

またきょうだい児と向き合う時間を作ることができない自分を責めてしまい、孤独感も味わいました。

娘を看取って数年経ったとき、私自身が周りの方々にたくさん助けてもらったように、私が誰かの力になりたい・・・、漠然とですが「養護」に関わる仕事がしたいという気持ちになりました。介護の経験とさらに資格があれば生かせる仕事の幅が増えるのではないかと思い、保育士の資格を取りました。

 

◆アニーへの異動:日々奮闘するお母さんの力になりたい

フローレンスに入社後は、こどもレスキュー隊員として、様々なお宅へ訪問し、病気のお子さんに寄り添う1対1の保育をしてきました。

そんな中、フローレンスが障害のあるお子さんをご自宅で保育するという事業を始めるという話を聞きました。障害のあるお子さんのほとんどが医療的ケアを必要とし、ご家族は不安を抱えつつ一生懸命頑張っていると思います。「お母さんが復職できない」「息抜きする時間がない」「きょうだい児の世話ができない」等、様々な「できない」を「できる」に変えたい、親御さんの気持ちに寄り添うお手伝いがしたいと、いても立ってもいられずに「異動したい!」と手を挙げました。

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自身の経験から、アニーの仕事をしたいと手を挙げた渡邉さん。アニーの保育は1対1で丁寧に向き合います。

詳しい仕事内容は、採用情報からご覧ください!

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